ストレスについて

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ストレスについて(1)                                                                                    2018/10/28

ストレスと病気という点では,ストレスは万病の「もと」ですが,ガンにしろ,心臓病にせよ,メンタルな病気にせよ,ストレスが原因の一つとされる病気は数多く指摘されています。震災のような災害の直後ですと,避難所での生活,不意に来る余震,衣食住がままならず危険にさらされ,明日の見通しも立ちにくい中では心穏やかでないことも多いことでしょうし,体調を崩される原因としてのストレス,というのは想像しやすいかもしれません。そう考えるとストレスって嫌なもの・・・,と思われがちですが,じつは,ドイツでのサッカーのワールドカップの期間中に心臓病になって搬送される数が増えた,という研究・報告もあり1),必ずしも嫌なことばかりがストレスや病気の原因というわけでもなさそうです。

ストレスとはもともと,物理学の用語です。英和辞典でstressという単語をひいてみると「圧力」といった意味が出てきます。物体を押し曲げたり,変形させたりする力のことをストレスと言っていたのです。それが幾たびかの転用の後,今では「嫌なこと,大変なこと」くらいの意味になっているようです。

もともと物理学の用語であったストレスという言葉を,私たちの身体の反応と結びつけたのは,ハンス・セリエ(Hans Selye)というカナダの生理学者です。彼は,外部からの刺激を受けて,それに身体が適応するプロセスを検証しました。風船に力を加えると形が変わり,またもとの通りに風船が戻ろうとするような「適応」のプロセスを想定し,ホメオスタシス・生体恒常性といった概念2)も踏まえられています。そして,外部からの刺激をストレッサーと呼び,私たちにとってストレスを感じさせるものが何なのか,分類・整理しました。そこでは現代の私たちが一般にイメージする不安や緊張といったもののほかに,暑さ・寒さや薬物もストレッサーとして分類されています。

ここで少しストレスという言葉を理解する側に多少の混乱が見られるようになりました。ストレッサーという言葉によって,「圧力」としてのストレスとの違いがあいまいになり,いまでは,ストレスという言葉は「嫌なこと」(原因)といった意味にも,「嫌なことを受けている」(状態)にも使われるようになりました。「○○がストレス・・・」という言い方がありますし,「もう本当に,ストレス・・・」と言ったりもします。原因としても,状態としても理解できますし,あえて「ストレッサーは・・・」と言う人は稀でしょう。

ストレスをなくしましょう,とはよく聴かれる言葉ですが,実際にはなかなか難しいものです。まったくストレスのない状態を目指すよりも,上手にストレスとつき合えると良いのかもしれません。(つづく)

 

 

1)Wilbert-Lampen, U. M.D., Leistner, D. M.D., Greven, S. M.S., Pohl, T. M.D., Sper, S.,  Völker, C., et al.(2008). Cardiovascular Events during World Cup Soccer. N Engl J Med, 358, 475-483.

2)ホメオスタシス(homeostasis)とは,W・B・キャノンによって命名された造語です。フランスの生理学者,クロード・ベルナールの提唱した概念----生命の特徴の一つとして,生物がもつ,自分自身の生体内の状態を一定に維持しようする自己調整能力----を踏まえています。この自己調整能力が失われると,病気や死に至るとベルナールは考えました。

 

≪参考文献≫

Selye, H.(1976).The Stress of Life, revised edition.New York: MacGraw-Hill.セリエ,ハンス.(訳)杉靖三郎,田多井吉之介,藤井尚治,竹宮隆.(1988).『現代社会とストレス』.東京:法政大学出版局.

ストレスについて(2)                                                                                                                                                          2019/1/9

ストレスとは嫌なもの,と思われがちですが,厳密に考えれば,嫌なことに限らないので注意が必要です。遠足や旅行,その他の一見楽しいイベントも楽しいばかりではなく,それなりに疲れを自覚したりします。「楽しかったけれど,ちょっと疲れたね」とは行程がひと段落した際に抱く珍しくない気持ちではないでしょうか。

ストレス(ストレッサー)の分類には,立場によってさまざまで,決定的なものはありませんが,次のように考えるのも一つの方法です。

 

 ①身近な環境のこと; 暑い・寒い・うるさい・くさい,など・・・

 ②ご自身の身体のこと; 病気・けが・空腹・疲労,など・・・

 ③人間関係; 家族や友人のこと・親戚や近所付き合い・会社での人間関係,など・・・

 ④環境変化; 災害・天変地異・引越し・進学・就職・転職・結婚・社会環境の変化,など・・・

これらについては,いずれか,というものではなく,これらの要素を程度の差こそあれ,併せ持つ,と考えると良いでしょう。たとえば,引越しをしたら慣れないことが多くてなかなか疲れが取れない,というのは,④に伴って,③や②が関係しているのでしょうし,生活環境が変わって,①も生じているのかもしれません。また,結婚なんていうのも,幸せだらけのことのようで,新しい環境・新しい人間関係を始める「変化の時」でもあり,ストレス(ストレッサー)になり得るものです。そして反対に,何もすることがない,というのも,これまでそれなりに忙しくしていた環境からの変化という点でストレス(ストレッサー)になります。たとえば,病院に入院すると,三食お世話つきで極楽か,と言えばそれほどでもなく,早く退院したい,家に帰りたい,という気持ちになるのが,健康的な心のありようです。心理学の実験で,密室にこもってある時間を過ごす,というものがあります。古典的で代表的なものでは,視覚・聴覚・(指先の)触覚が制限され,安静を保ち続ける,というものがあります1)。ただし,食事やトイレは許可され,報酬も与えられます。ストレスの点から考えると,一切の雑事から解放されるかのような環境ですが,そうした状態がずっと続くと,その実験の参加者は平常の状態を保てなくなりました2)。この実験から示唆されるのは,私たちは安静・安楽・安逸な状況であってもそれが長い時間続くことには耐えられず,「変化」を求めるものだ,というものです。しかし,「変化」はこれまで見てきましたように,ときに私たちに多少の緊張を与え,ストレスとなりえます。そう考えると,ストレスというのは避けるべきものなのか,求められるものなのかその違いが曖昧になってきます。身の回りにあるどんなものでも,私たちにとってはストレスの「もと」であるのです。しかし,私たちは必ずしも誰もが同じように身の回りのことをストレスに感じるわけではない,という点がストレスについて考えるときに難しい点です。同じことにしてもストレスに感じる人もいれば,そうでない人もいたりします。(つづく)

 

1)Heron,Woodburn.(1957).The pathology of boredom. Scientific American,196,52-56.

実験に参加したのは,男性大学生で,一日につき$20(当時)の報酬が与えられました。ほぼベッドの大きさの小部屋で24時間横になって過ごしましたが,外部との連絡方法は確保されていて,大学生が望む限り(for as long as they cared to stay),実験が続けられるというもので,強制性や人間性が著しく傷つけられるような状況ではありませんでした。

2)実験が始まる際には,参加者は(何もできない状況だから)勉強のことなどを考えていようと思っていたようです。実際,当初は勉強ことや個人的なこと,家族や友達のことなどを考えていたようです。時間が経過するにつれて,ある場面の細部を思い出そうとしたり,ただ数を数えたりするようになりました。さらに時間が経過すると,考えたいと思うことに集中して意識を向けることが困難になり,イライラするようになった,とのことです。そして,実験中はゴーグルをして視覚刺激を制限しているのですが,点や線といった「像」に始まり,「木陰にある岩」が見えてきたり,起きていると自覚しているのに夢を見ているような状態だった,と報告されたりしました。また,聴こえるはずのない音楽が聴こえてきたり,身体感覚が変わったり,距離感覚がおかしくなった,とも報告されました。敢えて,歌を歌ったり,口笛を吹いたり,詩を諳んじたり,といった態度も観察されました。

 

ストレスについて(3)                                2019/4/6

 これまで見てきたように,ストレスと言っても必ずしも嫌なこと,悪いことばかりでなく,好ましいとされること,楽しいことも,時にはストレスになってしまうことがあります。敢えてストレスを他の言葉に置き換えると「ふだんとは違うこと」くらいになって,その中核には「変化」が関係している,と考えられます。おそらく,これまでと違ったことが私たちにある種の緊張を与えるものなのでしょう。だったら,毎日,同じように暮らしていけばいい,とも考えますが,寸分違わずまったく同じように暮らせるわけにもいきませんし,自分の周囲は間違いなく変化していきます。そしてなにより,何も変化もないこと自体も私たちにとってはストレス(ストレッサー)です(「ストレスについて(2)」)。

 ストレスの「もと」はいろいろありますが,しかしすべての「もと」が同質かと言うとそういうものでもありません。少し古い研究になりますが,生活場面での出来事をストレスの程度で順位づけしたものがあります1)。その研究では,「Death of spouse(配偶者の死)」がもっとも高いストレス(ストレッサー)」とされました。興味深いところでは,「Vacation」や「Christmas」といったものもストレス(ストレッサー)として挙げられている点です2)。そして,こうストレスの強弱の順番を言われても,納得できるところとそうでないところがあるものです。誰もが同じようにストレスに感じるわけではない,というところにストレス問題の特徴のひとつがあるのです。ストレスの「もと」をどう感じるかは,次の3つの観点を総合的に考えてみると良いかもしれません。

  

  ①個人の資質

  ②環境

  ③「出来事」の衝撃度・関係の深さ

 

 ①の「個人の資質」とは,性格に代表される特性ですが,ポジティヴ/ネガティヴというような特性に限らず,知性や社会性(精神的成熟度・経験知),体力などが関係します。知性や社会性は適切な物事の処し方を裏打ちすることが多く,余計なトラブルに巻き込まれる可能性が低くなります。困難(ストレス)に見舞われたとき,どう対処すれば良いかといった見通しを立てたりできるのも知性や社会性と関係しています。また,体力なんていうのも存外大切で,体力は情況に立ち向かう気力を支えたりもします。

 ②の環境というのは,文化といった大きなものから地域,家庭,友人関係,経済力などを指します。男は弱音を吐かない,涙を見せない,女は家事をしっかりできて当たり前,などといった文化的な思い込みなどで,ストレス(ストレッサー)から逃れにくくしていることもあれば,自分を支えてくれる友人や家族の存在が救いになったりもします。また,一見して関係のないように思える「経済力」といったものもストレス対処に役立つことがあります。どうしても仕事のことでひどいストレスを感じる場合,仕事を辞めてしまってもしばらくゆっくりできる経済的な余裕があれば,ひどく疲弊する前にひと息つけ,「次の道」を見つけに行動を起こせるかもしれません。また,まれなことですが,お金のかかる場所に住み生活することを,トラブルを回避する処世として大切にする人もいます。海外旅行の際,お金が少しかかっても安心できる(とされる)ホテル・地域を選んだりすることに通底しているのでしょう。

 ③の「出来事」の衝撃度・関係の深さとは,「ストレス」の大きさ,関係のことです。命にかかわる「出来事」に遭遇するのか,自分との関係がどれくらい深いものなのかによって,ストレスに感じる程度に差があります。自分の家族が交通事故に巻き込まれたときと新聞で読む遠くの地域の会ったことのない人の交通事故では感じ方が異なります。命にかかわること,自分に関係に深いことほど,ストレスに感じやすくなると考えられています。

 これらのうち,関係の深さは別にして,③はあまり個人差が少なく,同様の条件での「出来事」に遭遇すると誰でも比較的同じような反応やショックを受けるものです。しかし,①と②については,少し個人差があったりします。この点については,「首尾一貫感覚(SOC)」として,少し違った角度から考えられてもいます。次回はこの点について,考えていきたいと思います。

1) Holmes,T.H.,Rahe,R.H.(1967). The Social Readjustment Rating Scale. Journal of Psychosomatic Research,11,213-218.

2) おもな順位は以下のようになっています。1;配偶者の死,2;離婚,3;夫婦別居。ただ,研究の方法としては,400名弱の人のアンケートによるもので,「結婚」をひとつの基準としてあらかじめ提示された43の項目が基準の「結婚」と較べてどうか,考えていくもので,しかも研究に参加した半数以上が,白人でプロテスタントというものでした。時代や文化を超えて普遍的な研究というものでもないようです。ちなみにもっと少ない(43番目の)ストレスは「軽微な法律違反」でした。

ストレスについて(4)                                                                                                                                               2019/7/18

  これまで,ストレスについて考えてきました。「ストレス」とはよく使われる言葉ですが,よくよく考えてみると存外難しかったりします。ストレスとされる出来事の質の違いもありますが,同じタイミングの同じストレスでもストレスの受け方は一様ではありません。この点について,アントノフスキーという健康社会学者は,なぜ病気になるのか,という発想ではなく,どうして健康が破綻しないで(病気にならないで)健康でいられるのか,という観点で考えました。これらは似ているようで大きく違います。なぜ,病気になるのか,という考え方ではその原因としての特質(病因)を取り除くことを目指します。たとえば,飲酒が病気の原因だから,お酒を飲んではいけません,という発想になります。一方,どうして健康でいられるのか,という考え方では,健康でいられる要因を高めましょう,ということになります。この,健康が破綻しないで(病気にならないで)健康でいられるのか,と考え方を「健康生成論(salutogenesis)」と言います1)。アントノフスキーは病気にならないでいられる支援の資源を「汎抵抗資源(generalized resistance resourses:GRRs)としました。GRRsには金銭や文化的な安定性,自我アイデンティティ,社会的なサポートなどが挙げられています。そして,この「汎抵抗資源;GRRs」を活用していく過程で体得される感覚を「首尾一貫感覚(sence of coherence:SOC)」とし,これらの2つが健康でいられるためには大切である,としました。「首尾一貫感覚;SOC」は次の3つの要因から成り立っています。

  ①把握可能感(comprehensibility)

  ②処理可能感(manageability)

  ③有意味感(meaningfulness)

 「把握可能感」とは,たとえばストレスについて言うなら,ストレス(ストレッサー)のことをどの程度理解しているか,ということになります。予測できるもの,説明できるものとして把握していることが大切です。そしてこれは,望ましくないことについても同様で,死や失敗は起こりうるが,その意味を理解していると「把握可能感」が高いとされます。

 「処理可能感」とは,困難は降りそそぐが,自分は社会資源や支援を活用したり,助けを求めたりして対処できるだろう,と思えるかどうかということです。「処理可能感」が高ければ,困難なことも対処可能な経験として挑戦の対象となり,そして挑戦しようとするその出来事はけっして耐えられない,というものではないないのです。

 「有意味感」とは,人生を意味があると感じている程度であり,人生の過程に生じるいくつかのことは精力を傾けかかわる価値があると思うか,ない方がましというのではなく,歓迎すべき挑戦と感じているか,という程度のことになります。けっして,大切ことの喪失などをうれしく思うことではありません。不幸な経験についてもそれに意味を見出そうとしたり,打ち勝とうと最善を尽くそうとすることになります。

 次回はアントノフスキーの上述の仮説に似ているものの,少し違った切り口,「社会格差」の点から,ストレスについて考えてみたいと思います。

 

1)Antonovsky,A.(1987).Unraveling the Mystery of Health: How People Manage Stress and Stay Well.San Francisco:Jossey-Bass.アントノフスキー,アーロン.(監訳)山崎喜比古,吉井清子.『健康の謎を解く ストレス対処と健康保持のメカニズム』.東京:有信堂高文社.

ストレスについて(5)                                                                                                                                               2020/5/28

ストレスという言葉はよく耳にし,一般によく使われていますが,改めて考えてみると少し難しい言葉です。心身との関係で言えば,病気や症状の一因としてストレスという考え方は現在のところ市民権を得ていると考えても良いでしょう。もう少し緩やかに考えれば,病気や症状を誘発しやすくする条件の一つとも言えましょう。ところが,これまで指摘してきたように,誰しもが同じストレス環境の下で,同じ時期に同じように症状が出るわけではない,という点もまた真実です。ストレスとされる事態をどう捉えるか,などの点で個別性があることを見てきましたし,前回は「健康生成論」の点から考えました。今回はさらに,「ストレスについて(3)」でお示しした①個人の資質と②環境に関係して,「社会階層構造(social hierarchy)」や社会的な地位(ステータス)が健康や病気に関係しているという仮説について考えていきたいと思います。

マーモットは,「自律性(autonomy)」と「社会参加(social participation)」が関係して社会階層が高く,社会的な地位(ステータス)のある人の方が健康である,としました1)。それはつまり,社会階層の高い人はそうでない人と較べて,自律的で社会参加の機会が多く,これらのために病気になりにくく,健康なのだと考えました。「自律性」とは,自分の人生に対してどれだけのコントロールを持っているか,ということであり,仕事で言えば裁量権や決定権が関係します。「社会参加」とは,どれだけ社会的活動に参加できる機会を持っているかということで,社会的活動と健康を結びつけると,ボランティアや余暇活動を思い描かれがちですが,就労,政治的な市民活動,福祉としてのデイ・サーヴィス,地域イベントへの参加,友人関係などが社会的な活動であり,これらが幅広くあることが健康に関係がある,とされます。

マーモットはイギリスでの研究で上述の知見を得ましたが,こうした社会階層と健康については,階級社会ではないとされるアメリカ合衆国や日本でも上述とおおむね同様の結果が示唆されています。例えば,日本の研究2)では,所得や雇用形態,職種によって健康度が変わってきたりしています。最近のことで言えば,非正規雇用の人と正職員では,人それぞれ個別の事情はあっても全体としては非正規雇用の人の方が健康に気を遣いにくい印象があるかもしれません。それを裏付けるように,所得が高い方が,非正規雇用よりも正職員の方が,事務職よりも管理職の方が健康だとされ,実際に健康状態などにその通りの差が認められます。その理由として,所得が少ないと受診を控えがちであったり,職業階層が低いと仕事のストレスが大きかったり,友人との交流が少なかったり,といったことが関係している,と考えられています。また,身近な周囲との比較において劣等感を覚えていると不健康になるという,もう少し踏み込んだ仮説もあります。先進国のように,ある程度以上の衛生環境や経済条件が満たされれば,環境や物質的な条件はそう変わらないはずなので,所属するグループの中でのポジションや影響力,周囲からの受容度,満足感などによって健康さが変わるのではないか,という見方です。卑近な例で考えてみると,猛烈に働く社長は,責任や資金繰りでストレスもあるけれど,融通を利かせて自分のペースで仕事をし日常生活を送り,やったことが自分の成果となり達成感を味わえることもあるのでしょう。この点,社長は「自律性」が高そうです。ほかにも社長として多少は周囲から配慮されることが多いというのもありそうです。これは「ステータス」でしょうか。一方の何かと制限を受け,ふた昔前のお気楽なサラリーマンとは違って,従うことを強いられがちな最近の従業員は社長のような働き方はなかなか難しく,社長のストレスとは質の違うストレスがありそうです。また,同窓会に積極的に参加したいと思えるのは現状での誇りや納得,余裕などと関係しているかもしれませんが,そうした感覚と似たような精神的な健康さを思い起こしても良いかもしれません。社会参加がよくできる人たちというのは相応の安寧があることの証左となりましょうか。全般的には,「鶏口となるも牛後となるなかれ」ということにも関係がありそうです。

社会階層の高さは,ある程度安定して勉強などを継続的に続けることができ,ある程度の結果や成果を残すことができるくらいの知性や社会性のあることの裏返しで,そうした知性や社会性は偏りは少なく,柔軟な考えができ,そうしたことが日頃の生活習慣に生かされているのかもしれません。また,私たちには属しているグループや期待される態度や行動をとりやすいという一面があります。私たちはひと昔前より日本国内や世界の情報に接する機会は増えているはずなのに,広い世界の中で自分を見つめることはなかなか難しく,属しているグループ,置かれた立場にふさわしいように自分を合わせ,変容していきがちで,目の前の人たちとの関係にとらわれがちです。それくらい私たちは今いる手近な環境の影響は無視できません。

一方で,大統領などの重職は寿命を縮めるという研究もあります3)。権限が大き過ぎるとそれはストレスなのかもしれません。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」なのでしょうか。ただ,この研究では,エミー賞を受賞した人は逃した人よりも寿命が長く,上述の通り,ステータスが健康にプラスの影響を与えていることを示唆しています。

これまで,ストレスとは何か,という点から深く考えてきましたが,次回からはストレスとの付き合い方について,考えていきたいと思います。

 

1) Marmot,M. (2004). The Status Syndrome. New York: Henry Holt and Company. マーモット,マイケル.(監訳)鏡森定信,橋本英樹.『ステータス症候群 社会格差という病』. 東京:日本評論社.

2) たとえば,http://mental.m.u-tokyo.ac.jp/sdh/pdf/messagetopeople.pdf

3) Link,B.G.,Carpoano,R.M.,Weden,M.M.(2013).Can Honorific Awards Give Us Clues about the Connection between Socioeconomic Status and Mortality? American Sociological Review,78,192-212.

 

参考文献

近藤尚己,近藤克則,横道洋司,山縣然太朗.(2012).高齢者における所得の相対的剥奪と死亡リスク-AGES追跡研究-.「医療と社会」,22-1,91-101.

ストレスについて(6)~小憩・余談~                         2020/6/25

  軍医総監でもあった森鷗外は『夢』という随筆で,海外の研究のひとつとして,「病人の夢」について触れ,「心臓病者の夢は短くして醒る時には瀕死の苦あり」1)と検究(ママ)されている,と紹介しています。その他,現在で言ううつ病になると悲しい夢を見,貧血の若年女性は心臓の鼓動をよく聴くために,波や風の音,ウグイスの声が夢に出てくるのだそうです。また,夢がきっかけで病気になるというメカニズムもあると紹介しており,肝膿瘍(肝臓に膿が溜まる)の前には,右の腹に刀を刺された夢をたびたび見るのだそうで,腸チフスにかかる前には,お腹に鷲が舞い降りる夢を見るのだそうです。

 気懸かりなことがあるとそれに似たテーマの夢を見ることがあります。大きな試験を控えている時に,電車に乗り遅れて困ったり,大事なものを探して見つけられなくて焦っていたりする夢を見て,冷や汗とともに目が覚めた,なんていう経験をされたことのある方もいるでしょう。生活状況に関係して見る夢はむしろ普通です。たいていは,大変な思いをしているときにちょっと嫌な夢を見たりしますが,幸せな夢を見て,それがいわゆる正夢や予知夢という類のものであることもあるようです。心理学の領域では,夢は無意識と関連されて考えられることが多いようですが,夢をどう扱うかは,心理学の流派によって異なります。占いの世界のように,この夢を見たらこういう意味がある,ということは心理学の領域ではあまり考えません。過去の影響を多く受けていると考える立場もあれば,未来を予言しているとする立場もあります。当事者ばかりでなく,カウンセリングしている治療者の側がその患者さんに関係することで夢を見ることもあります。うつ病から回復するとき,夢の方が先に良くなっていく,とは,精神医学の領域でしばしば指摘されることです2)。古来,私たちは夢をサインや予兆とみなす「信仰」が,夢を扱う思考過程のひとつとしてあり3),それはきっと,そのことに関心をもち,時には深く悩み藁をもつかみたい気持ちで過ごしていた時にその夢を見たからこそ,何らかの意味をもったサインや予兆として記憶や記録に留められ,受け継がれていたのでしょう。その意味で,夢は未来と過去のいずれにも関係し,その時々の条件によって,どちらかの比重が多くなったり少なくなったりして,より未来志向なのか,より過去に影響を受けているのか,印象づけられるのかもしれません。

 現代の私たちの感覚では,夢の内容と病気について,特定の夢や予兆として夢があるとは考えにくいですが,ストレスという点で考えれば,夢見がちょっとしたサインになるかもしれません。はっとして起きたり,冷や汗をかいたり,焦りが伴うような夢をよくみるようであれば,生活上で少し気懸かりなことを抱えていらっしゃるのかもしれません。その場合,生活上でのストレスについて考えてみたり,いかに生活の中の(気づきにくい)無理を(含めて)見直せるかが大切なテーマになってくるのでしょう。

 

1)森鴎外.「夢」.In埴谷雄高編.(1984).『日本の名随筆14』.東京:作品社.

2)中井久夫,山口直彦.(2001).『看護のための精神医学』.東京:医学書院.

3)河東仁.(2002).『日本の夢信仰---宗教学から見た日本精神史---』.東京:玉川大学出版部.

ストレスについて(7)                                                            2020/7/24

 これまで,おもにストレスとは何か,という視点から考えてきましたが,そうした知識を踏まえて,今回はストレスとどうつき合っていくか,という点から考えてみたいと思います。一般的には,ストレスをなくしましょう,だとか,ストレスを少なくしましょう,ストレスと上手につき合っていきましょう,という言い方をされます。周囲に向けて伝えるメッセージとしては,「ストレスをなくしましょう」はじつは,不適切です。これまで考えてきたように,ストレスがまったくない,というのは考えにくいからです。ストレスがない,と言明する場合,正確に言えば,それは,「まったくない」のではなく,負担に感じることがあまりない比較的穏やかな一時的な状態なのだと考えられます。あるいは負担に感じられるべきことに気づいていないだけであったり,ストレスがある,ということを認めたくないだけなのかもしれません。一方,「ストレスを少なくしましょう」というのは現実的です。そして,(思いままならない)状況をそれほど負担に感じないで済ませられるようにできることがストレスと上手につき合うことになります。

 では,どうすればそれほど負担に感じずに済ませられるのでしょうか。文言にすれば簡単ですが,実際はなかなか難しいことのように思えます。ストレスを自覚する場合,その対応方法は人によって変わりますが,まず,ストレスに感じることが何なのか考えてみることが大切です。最近起きたあのこと,というように特定ものがあれば,ゴールに向けて半歩先んじているかもしれません。多くの場合,いつからストレスを感じ始めたのかもよく覚えていないあのこと・そのこと・・・,というようでよく整理できておらず,自分でうまく説明できないけれどとにかく大変,と認識していることが多いようです。その場合,どんなことに一番困っているのか,一番ショックだったことはつまり何なのか,順位づけや関連づけをしてみて,全体像を思い描けると良いでしょう。でも,じつはこの全体像を描くのが難しいものです。順位づけは比較的できることがあるかもしれませんが,関連づけは自分でもなかなか思い描ききれません。ストレスに思うのはひとつの事柄に見えても,いくつかに分割できるかもしれません。それが関連づけを検討する1つ目のポイントです。これは関連づけの,“横のつながり”を考え直してみることと言えましょう。仕事がストレス・・・,というのはまだ範囲が大きいです。特定の業務のその中でもストレスに感じることは何なのか,じつは仕事そのものというよりは周囲からの評価であったり,作業の相性(個人としての得意・不得意)がテーマだったりするものなのかもしれません。仕事に対する思い込み—例えば仕事は何よりも優先すべきで“神聖”なものである,つねに体調管理に気をつけ,ベストな状態で臨むべきものなど—の影響でストレスを感じやすくなっているかもしれません。こうした背景にある思いとの関連を検討するのは“縦のつながり”に眼を向けることになるでしょう。人間関係がストレス,というのも同様に考えていきます。こうしたストレスを覚える状況の検討は存外骨の折れる作業です。日頃から仕事とは・・・,働くこととは・・・,○○とは・・・,といったことを少し哲学的に考え続けていくところで何らかのヒントやストレスの少なくなる処世術が見つかることがありますが,年単位の作業であることも多いようです。また,信頼できる人やカウンセラーなどの専門家に相談して,混乱した心の状況を少し整理できると良いかもしれません。ストレスに感じる「もと」やそれを取り巻く状況や全体像が理解できるようになれば次に,それがどのくらいストレス(負担)なのか,その脅威への対処方法にはどんなものがあるのか,検討できると良いでしょう。「知彼知己者,百戦不殆」(『孫子』謀攻編)1)の精神です。信頼できる人などから,提案やアドヴァイスがあったとして,そんなことは無理・・・,と思ったのでしたら,そこがポイントとなることも多いようです。提案されたそのものが実行できなくても,提案やアドヴァイスを少し形を変えてでも取り込めるとストレスの軽減に役立つかもしれません。(つづく)

 

1)天野鎮雄.(1972).『新釈漢文大系 第36巻 孫子・呉子』.東京:明治書院.

※本稿は,医療法人社団健心会のHP上で以前公表した原稿をもとに加筆・修正したものです。転載を快諾していただきました幡芳樹理事長に感謝申し上げます。

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